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2012年2月

2012/02/29

心配がたえない

龍の病気も心配だけれども、

弟の鷹もまあ親に心配をかけてくれる。

こちらは、帰宅するなり「うちに眼帯ってあったっけ」

と言う。

見ると、鷹の右目がはれあがっている。

そういうスポーツをやっているのだから、しょうがない。

その夜は、ただ腫れあがっているだけだったが、

これがどうなるかは簡単に予想がつく。

翌日は、夜の商売の女性よろしく、くっきりした紫のアイシャドウを、

塗ったような状態。

その次の日は、さらにアイラインを引いたような状態。

目のまわりのあざは、だんだん下がってくるというのが定め。

学校でも、化粧のようだと、さんざん言われたみたいだ。

2012022908350000 

この地方には珍しく雪。

龍と弟の鷹を、母親が車で送る。

二人とも雪だからとはしゃいだりせず、むしろおっくうがる。

さすがに高校生ともなれば、そうだろう。

それでも龍は、隣の小学校の校庭ではしゃぐ小学生たちを見て、

「ほんとうは・・・」と、もごもごつぶやく。

小さいころそうだったように、いまでも少しだけわくわくし、

雪遊びにそそられているようだ。

しかし、今日も期末試験。

大人になっていくってのは、そういうもんだね。

2012/02/27

たいしたもんだ

2012年2月27日、月曜日。

龍は今日から期末テスト。

母親は車で学校まで送って、そのついでに病気の報告。

担任と体育の担当教師と短時間面談。

入院や手術など、これからの予定がまだ決まっていないので、

簡単に報告するにとどめた。

年度末に、次年度の担当の先生交えての面談を設けてもらうことにした。

余談で、体育教師から持久走の授業の様子など聞く。

普通の子の半分ぐらいしか時間内に走れないが、

放課後、その分の追走をがんばっていたという。


母親は、これまでを振り返る。

なまけもの、だらしない、めんどくさがり、幼い、

そういうマイナスの性格と思っていたことが、

だんだん違う姿に見えてきたのだ。

ふだんの生活でホルモンの影響を感じることは少ない。

しかし母親は、産後数日目の激しいマタニティーブルーを思い出す。

わけもわからないまま嵐のように押し寄せて、

あっという間に去っていった1日余りのヒステリックな状態。

出産によるホルモンの変化と聞いたときに、

本当に不思議なものだと思った。


母親は、病院で見せられたさまざまな数値の異常が、

どれほど龍の身体に影響を与えているかを考える。

倦怠感や気力の低下、男性的性格の発現の弱さ。

そういうなかで高校生活を送り、

どれだけこの子はがんばっていたのか。

そういう見方ができるようになった。

また、ささいなことだけれども、見方によっては、

ご機嫌とりや調子がいいだけに思えた、優しさや思いやりも、

本当に素直な気持ちで見せてくれていたのではないか。

世間ずれしていないイノセンスを持っているのではないか。


これができない、これが劣っている・・・

そうじゃない、こんなこともできたんだ、こんなことが優れているんだ。

あんたはたいした子だったんだ。

いかにも現実的な、学業や将来への不安で、いつのまにか、

母親は、自分の目が曇っていたのではないかと思う。

病気であることがわかって、これからの闘病生活を考え、

ありのままの龍の姿を見てあげることができたら、

そして支えていくことができたら、と思う。

2012/02/26

診断確定まで 2

2012年2月24日、二度目のO医師の診察。

最初は、母親と龍で病院に出かけた。

O医師の示したディスプレイには、血液検査の結果が示されていて、

見覚えのあるような、ないような、さまざまな物質の値が出ていた。

O医師は、そのうち幾つかの数値の異常を指摘した。

それらが指し示すのは、

ホルモン分泌に関わる脳内のなんらかの異常ということになる。

行うはずだった染色体検査は行わないことになり、

すぐさまMR検査を行うことになった。

「レントゲンには何も出ていなかったんでしょう」

と母親が聞くと、

「見方が甘かったかもしれません」とO医師は言った。

この時点で、医師の念頭には特定の病名があったはずだが、

まだ龍たち患者側には、正式には示されていない。

ただ、これは特定疾患にあたるから医療費の補助が受けられると言われ、

今日から受けられるから、申請を急ぐように助言された。



これは大変!

母親は、所要で外出中の父親を慌てて呼び出す。

申請にはいろいろな書類が必要だし、

母親は、自分の伝聞の説明だけで、正しく伝える自信がなかったからだ。

とにかく急いだほうがよいと、

O医師が、その日の午後にMR検査を割り込ませてくれた。

母親と龍はいったん病院を出て、申請書類をもらうために保健所に向かい、

そのあと父親と落ち合って、

書類の準備や、今日聞かされた内容の共通理解のために、

大急ぎで話し合った。


検査の時間まで、3時間ほど。

遅刻の予定だったけれども欠席するむねを高校に伝え、

雑多な書類に混ざった必要な紙切れを、合宿所のように取り散らかった家の中から探し出し、

両親がばたばたとせわしなくするなか、

龍本人は、何より、点滴が憂鬱なようだった。。。。

ちょうど家にいた大学4年の鴉に、

「いっしょに行くか」と聞くと、「行きたい」という。

龍もそれでよいと言ったので、こんどは4人で出かけることになった。

鴉は、兄として弟を心配に思う気持ちもあるが、

理系大学生として、生物学的な状況に興味をもったようだった。

というわけで、その日二度目の受診は、龍と両親、長兄の4人体制でMR検査に向かった。

そこで、先に書いたような、龍の幼さを示す新たな伝説が生まれたりはしたものの、

無事検査を終え、小児科の診察室へ。

検査結果を待つ間、鴉がO医師にMRの仕組みを問うたり、

しばし雑談などをして、そのとき、オープンな家風も話題になった。

オープンな家風だからして、小児科の狭い診察室に、とうぜんのように4人で入る。

両親はもちろんOKだが、「ご兄弟の方は…」とO医師は戸惑いの表情。

しかし、これも龍がよいというので、同席ということになった。


まずMR検査の結果を見ながらの説明。

これはO医師の予想通りだったようだ。

脳の真ん中に鎮座する下垂体の上にウズラ卵大の丸い影が見える。

「鞍上部」と、O医師は部位を説明し、

「これは外科で診察してもらわなければいけません」

と言う。

この影が上から下垂体を圧迫することによって、

ホルモンの分泌が軒並み抑えられているというのだった。

成長ホルモン、性腺刺激ホルモン、副腎皮質ホルモン、抗利尿ホルモン…

元気(やる気)に乏しいこと、大量の水をほしがること、背が低いこと、無毛であること…

これまで龍の(すべて負の)“個性”であると思い込んでいた属性が、おおかた病気に由来していることが判明した瞬間だった。

驚いたのは、眼鏡を作れなかったこともこの病気のせいだったことである。

高校に入った龍は近視になり、さっそくメガネ屋に行ったのだが、

なぜか、何度検査してもメガネ屋の店員は「視力が測れないので眼科に行ってください」と言うのだった。

父親はこれを龍の“人にものごとを説明する能力”の欠如だと思い込み、

その後も何度か違うメガネ屋を試したのだが、結果は同じだった。

ところが、下垂体の上の影は、視床下部も圧迫し、視野狭窄を起こさせていたのである。

「そりゃあ眼鏡は作れなかったのは当然だね」と医師は言ったのだった。

ともあれ、分泌されているホルモンの量が正常値の1/5〜1/10であるとのことで、

もし治療がうまくいけば、

龍は5倍も10倍もまっとうな青年になることがわかった、

というのがせめてもの慰めだった。

「ドラゴンボール」で、フリーザや悟空が

「俺はまだ半分も力を出していない…」とうそぶき、相手を牽制するシーンがあるが、

龍もまた、「俺は本気の1/5しか出していないんだぜ…」と言えるようになったのである。

なんとこれは、究極の中2病のようなものではあるまいか。

ともあれ、ホルモン補充療法は、次週からさっそく始めることになり、

外科に関しては、

「ここで手術を受けてもらうことになると思います」

と、東京の有名なT病院を提示された。

つまり、原因になっている脳の腫瘍の切除と、

下垂体の機能低下によって起こる異常に対して、

ホルモンの補充を行っていくという、

二つの方向からのアプローチが示されたのである。

(ここまでで何か質問はあるか、という医師に、龍は、「手術は痛いのか」と問うた(爆)。。。)

「はい、○○病ですよ」

という正式な説明は受けてないけれども、

申請書類の種類からして、

これは、下垂体の周辺部にできた腫瘍による、

下垂体機能低下症と、ほぼ正体が見えてきた。

特定疾患の申請をするときにそちらのほうがよい、

というので、そのあとCT検査を受けて、再び小児科。

この時点で、母親は家族と別れて後ろ髪ひかれる思いで仕事に向かった。

せんしょくたい!?

染色体検査と聞いて、母親の頭に浮かんだのは、

何とか症候群や性未分化など聞きかじりの言葉の数々と、

XとYがさまざまに並んだ図柄だった。

脳の腫瘍と聞いた時は生命の危機という言葉が浮かび、

染色体と聞いた時は先天性の障害という言葉が浮かんだ。

染色体の検査をすることになって、

いっしゅん、いっそ腫瘍だったら治るのに、と母親が考えたのはたしかだ。

染色体異常は治らない、そのうえ子孫を残す能力も…

どんなことになっても平常心でいようと思っていたはずなのに、

母親は目の前が真っ暗になったような気がした。

最初の受診を終えて、まだ病名としては何も示されてはいなかったが、

母親が考えたのは、クラインフェルター症候群の可能性だった。

血液検査の結果を待つ週は、ややもすると、

「そういう先天的な病気に産んでしまった、ごめんなさい」

という、やや勝手な感傷に振れた思いにとらわれた。

そして、家庭で病気の話になると、

もしもクラインフェルター症候群であった場合、を仮定した話になりがちだった。

診断確定まで 1

というわけで、翌週の入試休みを利用し、龍はまずかかりつけの個人クリニック(小児科/アレルギー科)を受診した。

龍と付き添いの母親が別々に医師と話し、それから二人で一緒に話を聞いたが、

戻ってきて車に乗り込んだ母親は泣いていた。

とにかく成長に何かの停滞があるのはたしからしく、クリニックの医師は公立病院の紹介状を書いてくれた。

翌日、さっそく紹介された専門医のいる公立病院を受診する。

話しやすい雰囲気のO先生はいかにも小児科医らしい親しみのある第一印象だったが、

龍を診察すると、まず血液検査とレントゲン検査を提案した。

成長や思春期の発現を司るホルモン分泌に異常があることが考えられるということで、二つの大まかな可能性が示された。

ひとつは脳のほうの腫瘍の疑い。

もうひとつは、先天的な染色体異常である。

どちらにしてもただならぬことと母親は直感して緊張する。

手と頭部のレントゲン検査を手配しながら、「この手の骨の状態は12~13歳くらいのはずです」と医師は言った。

なんでも、骨を見ると、かなりの精度で子供の年齢がはっきり出るのだそうだ。

たしかに龍の手はほっそりしてやさしげなのだが、

予想に反して手の骨は17歳程度に成長しており、

医師は「見てみるもんですねえ」とディスプレイを見ながら言った。

頭部レントゲンにも異常は見られず、

血液検査の結果を待って、次週には染色体の検査を受けることになった。

家風と思春期

その家庭がどういう家風であるのか、

日常生活をその中で送る本人からはわかりづらい。

他人から言われて、そうなんだと気づくことが多い。

思春期は、心も体も大きく発達する時期で、

子育てにおいても親は、反抗期に苦労したり、

大人の階段を登り始めた我が子に戸惑うこともある。

子供が何を考えているのかも見えにくくなる。

その点、我が家は、あけっぴろげというか、

いわゆる思春期の性的な発達について、

話題にすることが、それほどタブーではなかった。

さすがにみな、からだを見られることをひどく嫌がる時期が

あったけれども、神経質になるほどではなかったし、

親からも、子供がある年齢に達すれば、さりげなく問う。

「男性器は、病院で手術するような状態ではないか?」

ひらたくいえば、ちゃんとむけてるか、というようなこと。

子供たちからも、それぞれ時期になれば、発毛報告があった。

青年期に達した鴉とは、性的嗜好に問題はないかどうか、

突き詰めて議論することさえある。

しかし、さすがに異性関係などの具体的な話はしないし、

性欲処理の話も出たことはなかった。

三人の息子たちと父親には、“日曜日に買い物に行く”という習慣がある。

買い物といっても、ツタヤに行ってDVDを借り、

併設のスーパーでその日の夕食(10年来、カレー!)の材料を買うだけなのだが、

子供達はひどくこれを楽しみにしていて、

なんらかの事情でこれを完遂できないとあからさまに落胆するのだった。

その日の買い物の帰り、助手席に座った龍が、バックシートの兄と弟をやや気にしながら、

「あとで相談したいことがある」

と言った。

予感めいたものがあったわけでもないが、あらたまった口ぶりが、父親はやはり気になった。

促すまでもなく、車を降りて家まで歩きながら龍が口を開いたことには、

マスターベーションをしても何も出ない

とのことだった。

突然の告白に、いろいろな意味で父親はたじろいだのだが、

(のちにいきさつを聞いた医師は「それはすごい」と評したが、

我が家は、こうしたことを口に出せる、オープンな家風だったのだ。)

自分が無毛であることに関係があるのではないかという龍の懸念は、

あとから考えれば非常に的確だった。

龍は眉毛も薄い。本人はたいへん気にしている。

背も低い。病的な低身長とまではいかないが、これも親としては気になるところであった。

また、抜けるように色が白い。

女だったらさぞかし、と思うが、あいにく性格に女っぽいところはなく、

また性的対象の倒錯の兆候は見られなかった。

父親が、母親に相談すると、福田沙紀が主演していたテレビドラマを思い出して、

「あれじゃないよね」と言った。

あれ、とはIS(インターセクシュアル)のことなのだが、

どちらにせよ、素人に判断できることではない。

そこで、かかりつけの小児科医に相談することにした。

この一家

我が家は、鴉、龍に続いて、第3子も男であった。

三男、鷹は龍と二つ違い。

結婚当初は、一人っ子を大事に育てて、

当時はやっていたDINKSの一つ上をいって、

タブルインカムワンキッドでオシャレに豊かに暮らすなどという、

妄想めいた図を描いていたこともあったが、

結果は、息子三人という、恐ろしいほど騒がしい家庭。

母親は専業主婦となって、子育てに専念した。

友人達がよく言うのは、某脱臭スプレーのCM。

これは育ちざかりの中高生らしき3人兄弟のシリーズ物。

男の多い所帯にありがちなむさくるしさを、

脱臭スプレーでさっぱり消臭という趣旨のもの。

みな、これを見ると我が家を思い出す、というのだ。

まさしくその通り。

子供部屋の掃除片付けも、

母親が、おもちゃや本を片付ければOKという時代は、

あっというまに過ぎさり、

三人が中高生になるころには、子供部屋は、

だらしのない独身寮とでもいうような状態になり、

家全体に、子供たちの衣服が散らかり、

玄関には運動靴が散乱するという、

CM以上にパワフルな状況になり、いまにいたっている。

そういう、少年から青年に差し掛かる年頃の三人息子・・・。

龍の、そういうお年頃に、ゆっくり影が差したのが、

中学3年から高校2年にかけての時期だったのだ。

新たな龍伝説

現在進行中の話をしよう。新たな龍伝説が生まれた。

多少、情けない伝説ではあるが・・・

龍は、心配したような乱暴でわがままな子には育たず、

わりあいと穏やかで優しい子に育った。

ただ、癇癪持ちで、激しいところもあった。

手はかからないけど、切れたら厄介というタイプ。

これは幼児のころの話だが・・・ガチャポンというのがある。

硬貨を入れてガチャガチャ、ポン!

何が出てくるかお楽しみというやつだ。

龍は、買い物のたびに、ガチャポンをねだる。

根負けして、ときどきは買い与える。

欲しいものが出なかったときなど、

買い物帰りの道端で、ゲットしたガチャポンを、

川に投げ捨てるという言語道断なことをしたこともあった。

腹が立ったこと限りない。

ホラー映画がダメ、痛いのが怖い弱虫でもある。

ホラー好きの長男と父親が、テレビで映画「リング」を見ているときに、

龍も我慢して同じ部屋に寝そべっていたのだが、

ラストシーンでは画面を注視することができず、

顔をうつ伏せたままジリジリと後じさって、

とうとうそのままの姿勢で部屋の外へ出て行ってしまった。

それなら最初から見なければ良いのに、

ラストシーンまで長男や父親に付き合ったあげく、

そうなるところが、まだ未分化なこの子らしさなのである。

さて、話を“新たな龍伝説”に戻すが、

今回、診察を受けることになって、あらためて浮き彫りになったのは、

こやつの、このヘタレぶりなのだった。

病気より何より怖いのが注射や点滴など。

親としては、病気のほうがずっと怖いのだが、

龍は、まず、これからの診察や治療が、

痛いかもしれないということのほうが目下の重要事のようだ。

血液検査のための採血でもひと騒ぎ。

血管が細いのだか脈が弱いのだか(これは父親譲り)、

とにかく注射針を刺すほうも大変みたいだった。

怖いのに、普通の人より時間がかかって、

龍は、さらに恐怖感を募らせた。

そこにもってきて、点滴をしながらのMR。

このときは、両親と鴉が付き添い、

廊下で、垣間見えるMR室の様子をうかがい、

3人で、部屋からもれ聞こえる会話に耳をすませて見守った。

怯えてあれこれ質問する龍の声。

なだめるような病院の人間の声。

「18歳でこれは久しぶりだなあ」

と、医師に言わしめたほどの怯えぶり。

病気は、その幼さにも、影響を与えているのかもしれないが、

それにしても、情けないこと。

新たな龍伝説に加わったのは・・・

「具合悪くなったら押すように」

と言われていた呼び出しボタンを、

MR検査が始まった、その一瞬後に押した、という、

なんとも情けなくもかわいそうなお話。

「目を開けたら、狭くて怖かった」

というのがその理由。

ぜんそくがあるので、

造影剤などによってアレルギー起こす心配があったので、

見守る側としてははらはらしていたのに。

とにかく、この検査によって、

龍の病気の正体が、明らかになった。

龍伝説

龍は二男で、第2子である。つまり4歳上の鴉という兄ちゃんがいる。

鴉は父母どちらの親にとっても初孫で、ずいぶん祖父母に可愛がられて育った。

やはり2番目というと、親は慣れがあるし、祖父母も感動が薄れるのか、

兄ちゃん第一、おまえはその次、というところがなきにしもあらずで、

平等かというと、そうではなかった気がする。

しかし下の子は強くたくましい。

我が家にはいくつかの龍伝説というのがあって、

まず、はいはいがようやくできるかできないかの赤ん坊のころ、

母親が朝目覚めると、隣に寝ていたはずの龍の姿が、

狭い2DKのどこにもないということがあった。

必死で探しまわると、壁と電子ピアノのあいだにはさまって、

身動きとれなくなっていた。

泣くでもなく、ただただはさまってもぞもぞしていたのだ、これがひとつ。

それから、1歳のころ、断乳の時期に差し掛かったのだが、

よく世間では、母乳離れに苦労するという話を聞く。

しかし、龍は、ある日とつぜん、「今日からもうおっぱいは飲まない」

と宣言するがごとく、自分から母乳を断った。

断乳はいっしゅんですんだ。

人より歩くのが早く、8か月でよちよち歩きを始めた。

鴉と比べて、親から見ると、活発で気の強い子だと感じた。

気が強いというのがマイナスに出て、おもちゃ屋では苦労した。

鴉は、まったくしつこくおもちゃをねだるということはなかった。

しかし龍は、絵に描いたようなおねだりを見せてくれた。

つまりは床に寝転がってじたばた泣く、というやつである。

何事も、鴉と比べてしまうのだが、

鴉は、ねだらなくても祖父母や親から

おもちゃをすぐ買ってもらえたからしつこくねだらなかったんだろうし、

一人っ子と兄弟がいるのでは、

日常におけるひそかな競争という点でも違いがあったのかもしれない。

鴉と比べて、龍が活発な子だったという思い出は多い。

幼児のころ分不相応な巨大な遊具から見事転落して、

病院にかつぎこまれたり、

リビングのソファに後ろ向きに平気どーんと倒れこむ遊びを好んだり、

親をおろおろさせるような行動には事欠かなかったし、

自転車も、就学前にいつのまにか補助輪なしになった。

鴉のときには、つきっきりで特訓した。

だから、この子は運動が得意かもね、と、

両親でよく話したものだ。

2012/02/25

思えば・・・高校2年

今思えば、頭痛がする、眠たい、食べたくない、めんどくさい、

こういう愁訴は、病気が原因だったのだ。

ぜんそくの発作が、その目くらましとなって、

親は、身体的には、それ以外の原因を疑わなかった。

龍の高校生活は、1年生前半は順調だった。

秋にはハンバーガーショップでバイトを始め、

意欲的に働いて、小遣いも自分で稼ぐようになった。

年を越したあたりから、学校生活は、親の知らぬ間に滞りを見せていた。

これがわかったのは、2年生に進級した春だった。

「学校に来ていません」

親は、毎朝学校に送り出し、普通に登校しているとばかり思っていた。

ところが学校に来ていないという。

さっそく問い詰めると、龍の答えはあいまいで、

どこにいたのか問うと、漫画喫茶や公園で時間をつぶしていたといい、

なぜかということには、明確な答えはなかった。

まとめると、「やる気が出ない」ということになるだろうか。

それに対して親が言えることは、体調管理をきちんとして、

とにかく学校はがんばれということしかなかった。

じっさい、そのころは、

精神的なたるみや、反抗期的なところも原因ではないかとも思っていた。

そしてもうひとつ、ここを突き詰めて考えればよかったと、

いまでは後悔しているのだが・・・

龍は、あまり高校生には見えない幼い容姿で、

中学のころは、べつにそういうものだろうと親は思っていたが、

あたりを見渡せば、同級生たちは、

すでに少年というより青年のおもむきで、見知った子さえ、

見違えるばかりに成長していたのだ。

そんななかで、コンプレックスを抱いたり威圧感を感じるのは当然で、

そういう心理が、不登校の一因になったのではないかと思った。

校風も、もしかしたら合わないところがあったかもしれない。

3年生のころの不調もあって、

学力的に、自分に合った高校をいろいろと選ぶ余地がなかったのだ。

この高校2年の春のつまずきは、あとをひき、

龍は、結局、原級留置となった。

この高校1、2年の時期に特筆すべきは、水をよく飲むようになったということだ。

前々から、ジュースをよく飲むので、親は気にはしていて、

中学前半は、それが原因か、少し太り気味だった。

その後、とにかく水をがぶがぶ飲むというふうに変わって、

2012年2月、医師の「1日どのくらい」との問診に答えた量は「6ℓ」だった。

思えば・・・中学時代

中学3年。龍は部活をやめた。スポーツがしんどくなったのだという。

同時に具合が悪いと、授業中に保健室に行くことが多くなった。

ちょうど風邪もひいていたので地元の内科を受診し、風邪の処方薬をもらった。

しかし、親も龍自身も何が原因かわからないまま、漠然とした不調が続き、

学習意欲も低下し、交友関係においても、外に遊びに行くことが少なくなった。

これはどうもおかしいということで小児科を受診。

ぜんそくと診断され、その治療でかなり体調は戻った。

ぜんそくの治療を始めたことは、龍にとって、

不調の原因がわかったということで、気が楽になったようだ。

自律神経失調症気味だったのも、好転してきた。

ここでひとまず安心した親が甘かった。

この状態で2年、龍の病気は、少しずつ進行していったのだろう。

スタート

驚天動地、吃驚仰天とはこのこと。

18歳になる二男の病が発覚した。

完全に診断が確定したわけではないがほぼ輪郭がはっきりしてきた。

家族の記録として、とどめていこうと思う。

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