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2012年3月

2012/03/30

たこやき

龍の友達アイくん。

高校に入って、体調がますます悪くなってから、

龍の口からあまり名前を聞かなくなっていた。

じっさい連絡を取り合うことも減っていたようだ。

それが、入院をきっかけに、交流が復活し、

あわせて当時仲のよかった仲間たちとも、

連絡を取り合うようになった。

その仲間たちで「たこやき」をするという。

母親には、どういう集まりなのだかよくわからないが、

とにかく楽しい集まりには違いない。

それぞれの都合が合わず、何回か延期になったが、

昨日龍はその「たこやきパーティー」に出かけていった。

母親の注意は「酒飲むな」。

これから手術を控えた身であり、無理は禁物。

1年遅れの高校3年の龍と、この春卒業した同級生達であるから、

それがいちばん心配なのだ。

午後早くに出かけていき、夜8時になっても連絡なし。

母親は龍に、メール、電話と、帰宅をうながす。

夜飲む薬のこと、調子にのりすぎて体調を崩すことを、

どうしても心配してしまう。

「はいはい」「わかったわかった」

けっきょく、11時までに帰ってこいと厳命し、

さすがに龍も帰ってきた。

よほど楽しかったらしく機嫌良かった。

2012/03/27

春休み

龍と鷹は、春休み。

比較的穏やかな日々を過ごしている。

鴉がいないと、この二人はちょっとよそよそしい。

母親の推測では、

鷹が、一足先に思春期を終え、心身ともに成長し、

兄を追い越してしまったために、

もともと持っていた兄への尊敬が薄れているのかもしれない。

しかしあからさまにそういう態度をとるほど生意気でもなく、

この二人の間の微妙な空気が、母親は気になる。

ここに長男の鴉が入ると、

どうにかこうにか和やかな明るい雰囲気になる。

この先、三人協力しあって支え合っていけるとよいなと思う。

そんなことを考えるとき、

母親の頭には、三人で獣の子のように、

丸くなって、一つのベッドに寝ていた日々が思い出される。

2012/03/22

自己血採血

続いて、眼科の翌日の自己血採血。

母親と龍は病院9時半着を目指す。

10時からの予約だったので、

はなから、待たされることを前提にしていたが、

9時半前に着いて再診の手続きをすると、すぐに採血室に入れた。

いままでの採血や点滴での苦労を知っているから、母親は、

「うまく進んでますでしょうか」と、部屋を出てきた看護師さんに尋ねる。

「だいじょうぶですよ、もう採血に入っています」

「ちゃんととれてますよ」

看護師さんは、わざわざ二回も様子を見てくれた。

小一時間ほどで出てきた龍に聞くと、針刺しもすぐすんで、

予定通り400cc取ることができたという。

鉄剤のおかげだろうか。

思ったよりもだいぶ早く病院での用事がすみ、

龍も、心配していたようなふらふらな様子はなく、

わりあいと元気だったので、地下鉄ひと駅分を歩くことにした。

慣れない都心だが、母親は若いころ都心で働いていたので、

さほど迷うことなく、乗車駅に着いた。

そのあたりで少し早い昼ごはんを食べることにした。

帰ってからでもよかったのだが、

母親の友達のやっているカレーの店が近くにあるので、

寄ってみようということになった。

携帯のグルメナビゲーションを頼りに、

新橋烏森口方面の飲食街を歩く。

昔からのサラリーマン天国の庶民的で雑然とした街を、

二人で物珍しく歩き回り、さほど迷わず目的の店を発見。

ランチタイム前だったが、地元でよく見知った店主が、

ちょうど出てきたところで、開店前にお店に入れてくれた。

定番チキンスープカリィとドリンクを注文したのだが、

チキンも野菜もけっこうボリュームがあって、二人とも満腹になった。

帰りに会計をすると、店主は、ドリンク分をおまけしてくれていた、ありがとう。

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ふたたび視野検査

T病院には入院前に2度来なければいけないのだった。
ひとつは眼科診察、もうひとつは手術用の採血である。
分担の話し合いの結果、
まず父親が龍を連れて眼科を訪れることに。
朝8時半の診療開始に合わせて家を出たので、
JR、私鉄、メトロと都心に近づくにつれてラッシュは激烈になり、
龍は目を丸くしている。

他の科同様、眼科も老若男女の目病みで混んでおり、
視野検査と診察は同日にできませんと貼り紙があったが、
Y医師の手紙を出すと、2時間ほど待たされたが、
予約の合間に押し込んでくれた。
この検査は術前の記録のためであり、
術後に再び検査して、変化を調べるための準備である。
視野狭窄の検査自体は市立病院でも実施済みであり、
やはり両目ともちょうど半分あたりから外側が「見えていない」。
眼科医師が「何か質問はありますか」と訊くと、
龍は「バイクの免許はとれますか」と訊ね、
予想外の質問に父親はたじろぐ。
医師の丁寧な説明によれば、
免許証の試験には視野検査はなく、
しかも両目での視力検査なので、たぶんとれるのではないか。
しかし今のままでは危険であり、術後に回復するかどうかはまだわからない。
とにかく術後の様子を見てから考えるのでいいのではないかというのだった。
父親がその答えに補足することは何もなかった。

検査が終わると今日は終わりで、想定よりも大分早かったので、
龍とふたりで渋谷に出てマクドナルドに入り、
ビヴァリーヒルズバーガーなるものを食した。
渋谷初体験の龍はやっぱり物珍しげである。
所用のある父親は、自宅最寄へと向かう電車に乗る龍を確認して、
途中の駅で別れた。

2012/03/16

新年度の学校生活に向けて

言うまでもなく、

病気に気づいてあげられなかったことは、

親として痛恨事である。

このとき気づいていればこうだった、ああだった・・・

母親が、そのことを考えない日はない。

2年生で原級留置になってしまったことも、

ぜんそくや本人の怠慢と決めつけていたし、

低めの身長やあまり男性的でない容姿も、

この子はこうなのだろうと疑問にも思わなかった、

親が気づけなかったことを人に求めても無理があるが、

大勢の生徒と接してきた教師、

健康に対する知識のある養護教員、

病気に対する専門家である医師、

誰かが問題に気づいてくれていれば、とも思う。

が、過去を悔いても、それだけでは前に進めないので、

当面は病気の治療に集中するが、

龍の将来についても考えなければならない。

その一つが、高校を無事卒業することだ。

進級はほぼ決定したけれども、

4月は手術入院で欠席しなければならないし、

そのあとも通院(入院もありえるのだろうか・・・)などで、

欠席することもあるだろう。

新年度の担当教師とも新学期早々に面談をしておく必要がある。

無事、手術を終え、治療を続けながら、進級し卒業する。

これが、龍と両親の目標だ。

鉄剤

手術入院までに、あと2回東京に通院しなければならない。

眼科の診察を受ける、手術用の自己血を採血する、の2回だ。

貧血気味ということで、

それを少しでも改善して採血や手術に臨むために鉄剤を処方された。

いかにもな、まっかっかな、m&mみたいな薬。

胃がむかつくかもしれないとは聞いていたが、

龍によると、飲むと頭痛がするという強力な薬のようだ。

でも、採血が順調にいくように、

龍には、がんばって飲んでほしい。

ちなみに、これを飲むと便がすごい色になるらしい。

ところで院外薬局でこの薬を買ったときに、

薬剤師さんと話したのだが、

特定疾患申請中というと、

これまで支払いがまちまちなので戸惑っていた。

保留になったり、支払ったあと領収書持参で返金するとか、

支払ったあとの返金は役所からになるとか。

こちらも初心者で勉強不足なのかもしれないが、

制度側の対応のあいまいなところが気になる。

薬剤師さんの話によると、認定されたあとでも、

対応に困ることが多々あるのだという。

処方箋を出す医師側が

「特定疾患」と一言添えてあったりなかったりであるとか、

市役所や県も人によって言うことが違ったりであるとか。

制度自体は先人の努力のたまもので、

たいへん助かり、ありがたく感謝したい。

でも、無事認定が下りたときには、

このことについては、よく確認しなければならない。

そしてきちんと理解して、

滞りなく制度の恩恵が受けられるようにしよう。

2012/03/15

トーキョー

2012年3月14日水曜日。

朝早く起きて、龍と両親は東京に向かった。

最初は母親と電車で行くはずだったが、父親も行くということで、

車になったのだ。

若いころ東京中を車で走りまわり、勤めも東京の父親だからと、

安心していたのだが、都心に入ってから、

目的地まであと少しというというところでぐるぐる迷う。

けっきょく病院に着いて初診の手続きをしたのが9時半過ぎ。

やっと診察してもらったのがお昼ごろ。

少しばかり早く着いたとてこの混みようでは同じだろう。

いままでの市立病院と違って、こちらは大混雑の大盛況。

O医師の持たせてくれた画像を見て、

Y医師もやはり、これは頭蓋咽頭腫だと言い、

手術するしかないと、すぐさま結論が出た。

そのあとは、入院手術に向けて、日程を決めて、

幾つか検査して、説明を聞き、

何枚かの同意書に龍と父親がサインした。

最後に入院係という窓口で、入院の説明を聞いた。

あれよあれよという間に話が進んだ気がしたが、

じっさいは5時間くらいたっていた。

Y医師は、インターネットで検索しても、

この分野で活躍する名医であることがわかる。

経鼻術という手術方法の専門家で、

龍の頭蓋咽頭腫もその方法で手術するという。

じっさいは、入院して手術前日の説明で、

もっと詳しいことがわかると思う。

母親は考える。

名医という言葉は便利だけれども、

立派だとかえらいとか、そういうことではなくて、

けっきょくのところ、プロ中のプロであるということだと思う。

だから下垂体の手術の専門家であるということは、

ひとつの大切な要素である。

全人的に見てどうであるとか、患者に対して人間的にどうであるとか、

そんなことは、二の次、三の次なのだ。

ただ、こちらも人間だから多くを求めてしまうことになるだろう。

じっさい有名な医師であるということは、

その世界のことはよくわからないが、

毀誉褒貶があるのは、いたしかたないことだろうと思う。

Y医師はプロ中のプロであるということに、

疑問や不安を抱くようなことが万が一あれば、

セカンドオピニオンということもありうるのだろうけれども、

いまのところは、お任せできる方だという判断に、

あやまりはないと思う。

・・・とえらそうに書いたところで、

うわっ、プロっぽい!職人っぽい!手際よさげっ!自信あるっぽい!

という、いかにも素人の第一印象なわけだが。

紹介状

小児科で紹介状をもらって、いよいよ脳神経外科を受診することになった。
その日は、もう一回だけ血液検査をしてその結果も添付するというので、龍と母親は少し早めに行った。
採血してから結果が出るまで時間があるので、入院時から気になっていた、最上階のレストランで昼をたべることにした。
レストランといっても昔の社員食堂や学生食堂みたいな素っ気ないつくりでメニューも少なかったが、入院中には豪華に見えたらしく、龍はカレーうどんでご満悦だった。
そのあとO医師の話を聞いて紹介状もらって帰宅。
ずいぶんと詳細な何枚もにわたる検査結果もつけてくれた。
翌日は、それと前にもらった画像ディスクを持参して、T病院のY医師の診察を受ける。

2012/03/11

間奏曲

この先ずっと薬とは縁が切れない生活になるだろうから、

本人にしっかり管理してほしいと母親は思う。

ところが、少しくらい元気が出たからといって、

本人のそういう自覚があまりに薄い。

家族の姿勢も、母親からしたら、少し無関心に見えてくる。

そして、ひとりヤキモキするという悪循環。


そのうち、いやでも自立していくのだとは思うが、

ほんとうにだいじょうぶなんだろうかと心配になる。

だから、つい、口うるさくしてしまう。

まだまだ、闘病はこれからなのだから、

さまざまな経験を経て、

ちゃんと自覚して自立していくとは信じているけれども・・・


母親は、つい、またよけいなことを言ってしまう。

「先生も看護師さんも優しい小児科と違って、

外科は職人気質で厳しい世界なんだからね、

いい歳して、甘えちゃだめなんだからね」

医療ドラマの見過ぎである。

だが若いころ外科のナースをしていた龍の祖母も、

そんなようなことを言っていた。


本能的には、限りなく甘やかしたいところなのだが、

どうも年齢を考えると、そうそう子供扱いもできない。


手術を前に、不安や緊張で揺れ動いているのは、

母親だけなのかもしれない。

2012/03/10

腫瘍

O医師は、鞍上部に鎮座する腫瘍は、

「頭蓋咽頭腫」なのではないかと言う。

最初の時点では、申請書類には「ラトケ嚢腫」と、

書いてしまったらしいが・・・。

どちらにしても、

下垂体にできた腫瘍の手術の経験値が高い脳外科医であれば、

問題なく手術できるようだ。

勝負は、全摘出できるかどうか。

頭蓋咽頭腫は再発することの多いものなので、

最初に全部取ってしまうことが大事なのだという。

勝負運が強ければ、腫瘍の全摘出が成功して、

下垂体の機能低下や視神経の圧迫に、

何らかの改善がみられる幸運もついてくるかもしれない。

現在、下垂体の機能については最悪の状態である龍に、

最高の勝負運が、訪れますようにと、母親は願う。

退院

2012年3月9日金曜日。

入院したのが先週の金曜日。

龍は、きっかり予定通り退院できた。

退院療養計画書というものをもらい、十分に説明を受けた。

知れば知るほど、いままでよく生きてこれたなあと、

いうか、よくもまあ、なんとか普通の生活をしてきたものだなあと、

母親は思う。

理科で習う、「恒常性の維持」という言葉を思い出す。

ほんとうはホルモンが果たすべき役割なのに、

それが出ていないという。

それでも龍の肉体を生かし続けるために、どこがどう働いていたのか、

きっと一生懸命、からだのなかのあちこちが、

がんばっていたんじゃないだろうか。

補充療法が始まって、からだじゅうが待っていた、

物質が届き始める。

前線に、支援物資がやっと到着したようなものだ。

龍のからだは、もろ手を挙げてそれを喜んでくれるだろうか。





退院療養計画書よると、以下のとおり。

慢性副腎不全

下垂体から分泌される副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が不足して副腎機能が低下しています。副腎皮質ホルモンを補うためにコートリル(朝1錠、夕0.5錠)を内服します。発熱や強い疼痛時には副腎皮質ホルモンの必要量が増えるので渡してある予備薬を一緒に内服するようにしてください。予備薬は常に持ち歩いてください。カードも携帯しましょう。

甲状腺機能低下症

下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモン(TSH)が不足して甲状腺機能が低下しています。甲状腺ホルモンを補うためチラージンS錠(50μg)1錠を内服しています。経過により増量するかもしれません。食事と一緒に内服すると吸収が悪くなるのでなるべく朝食前に内服してください。飲み忘れた時には思い出したときに食事に関係なく内服してください。

尿崩症

下垂体から分泌される抗利尿ホルモン(AVP)が不足して尿量の調節が難しくなっています。また、これまで尿量が多かったため膀胱の拡張と経度の水腎症があります。デスモプレシン2.5スプレーの点鼻で補います。スプレーを使うと多量の尿が出ることはなくなります。尿量を微妙に調節することはできないので、のどの渇きに応じた水分の摂取が大切です。点鼻が良く効いているときに水分を多量に摂ると水中毒を起こして具合が悪くなる危険があります。前回の点鼻が切れてから次の点鼻をするのが原則です。

成長ホルモン欠損症

下垂体から分泌される成長ホルモン(GH)が不足しています。術後に成長ホルモンの分泌が回復しないようであれば、家で毎日成長ホルモンの注射をして補うことができます。物事に対する意欲、筋力、脂質代謝に有効とされています。

性腺(精巣)機能不全

下垂体から分泌される性腺刺激ホルモン(LH、FSH)が不足して性腺機能が低下しています。骨年齢は17歳なので骨の成熟は進んでいました。性腺の補充療法には性腺刺激ホルモンを補う方法(家で注射、2種類を週1~3回)と男性ホルモンを補う方法(月1~2回)病院で注射)があります。治療を勧めると男性の体格になり髭や陰毛も出現します。男性ホルモンの補充では精子は作れるようになりません。精子形成には性腺刺激ホルモンを補う方法を選択する必要があります。術後に性腺刺激ホルモンの回復が見られなれば相談しましょう。

2012/03/08

成長の記録

医師から要望があったということで、
高校に「成長の記録」を取りに行く。
なんでも、小学生時代の記録も、中学生時代の記録も、
すべて高校に集約されているのだそうだ。
そういうもんですか。

事務室で保健室の先生を訪ねると、
事務長らしき人が、話は聞いてますと言い、
早く治るといいですねと声をかけてくれた。
龍の大好きな保健室の先生も、なんだか目をうるうるさせているように見えた。
花粉のせいかもしれないが…。

さて記録を見ると、
小学1年から、6センチ→6センチ→5センチ
→6センチ→6センチ→5センチ→9センチ
→3センチ→1センチ→0センチ→0センチ、
となっており、今から思うと、
中学2年の思春期で大きく伸びるはずだったのが、
まるで急ブレーキをかけられたように見える。
ついでに、視力検査も中2まではAだが、
中3でC/Bになり、高校ではDに転落。
やはり中3になる頃に、病の胚芽があったのだ。

本人の認識も「喘息の発作が出るようになったのはその頃」とのことで、大体符合が合う。
その頃、体調を崩した龍はテニス部の活動に急に熱心さを失った。
中3の1年間は、やる気がないと責められながら、
塾に通い、受験勉強をしていた。
なんとか県立高校に入り、その年の終わり頃には、
マクドナルドでアルバイトも始め、
ぐうたらな奴ではあるが、まだ生活は充実していたと思う。
高2に進級する頃になり、学校でちょっとした事件があったのをきっかけに、
(その事件のことを親が知るのは年度末になる頃である)
アルバイトもやめてしまった龍の生活態度はゆっくり沈滞していった。

すべて、今思えば、であるのだが。

2012/03/07

入院6日目

入院の後半は、尿量のコントロールが課題で、

これがうまくいくかどうかで退院が決まると最初に言われた。

今日は、午前中いっぱい、水分をとってはいけなくて、

龍は、ほとんどパニック状態。

脳が、飲メ飲メと命令しているのだから、さもありなん。

尿崩症という症状だ。

これも汎下垂体機能低下症の一つの症状。

水断ちをして、抗利尿ホルモンを補充して、

正常な尿が出るかどうか、検査したのだろう。

龍から、つらい、つらい、早く来いとの催促。

母親は、予定より2時間ほど早く病院に行った。

さすがに小さい子ではないから、

行ってみると、べつにきゃあきゃあ喜ぶでもなく、

あ、来たの?という感じで、

なんで早く来て欲しかったのか、よくわからない。

ちょうど検査が終わって、遅い昼食が運ばれてきた。

朝食も抜いていたので、おなかが相当すいていたようだ。

今日は担当のO医師、K医師とも話すことができた。

検査の最後に採った尿の状態を見て、

「こんな色のオシッコ、何年ぶりじゃないかい?」

と言う。

大量に水を飲むようになって以来ずっと、

大量の薄い尿が出ていたはずなのだ。

それから、いよいよ腫瘍の手術の話も出た。

早ければ水曜日に東京のT病院を受診できる。

龍も交えて話したあと、

母親は、ナースステーションでO医師と話す。

手術と下垂体の機能の関係が、どうも不安だったからだ。

いろいろ話して、けっきょく、

ここまで機能が低下していない状態の患者が腫瘍を取ると、

よけい機能が低下してしまうことがあるのだが、

龍の場合は、いまはほぼ最悪なのだから、これより悪くなりようがないという。

それだけ聞くと、悲観的な話のようだが、母親は逆に希望を持った。

すなわち、

下垂体本体を傷つけてしまっても、

いまより悪くなりようがないということだから、

腫瘍を、より完全に取り除いてもらえるのだ。

もちろんすべての場合において、基本は「完全に取り除く」ことだけれども、

取り除くことによる下垂体の機能低下の心配はしなくてすむ。

さらに希望的観測としては、

もしかしたら、一部の機能は回復するかもしれない。

視野狭窄についても同様である。

リスクを理解することはもちろん大事だが、

できるだけ、無用な不安なく手術に臨みたい。

これから脳外科の医師ともいろいろ話していくことになるのだろうが、

似たような手術を受けた友人の言うところの、

「プロにお任せするのだから、プロの仕事をしてください」

ということに尽きる。

前に聞きそびれた腫瘍の種類も聞いた。

おそらくそうだろうと思っていたうちの一つだった。

これは、最終的な、脳外科の医師の診断を待とう。


母親は仕事が休みだったので、

今日の面会は、時間を気にせずにすんだ。

保健室の先生

龍の高校生活で、もっとも親しい人といえば、

同級生より担任より、保健室の養護の先生だ。

母親もそれは知っていたから、

面談などで学校を訪れると、

必ず保健室に顔を出してあいさつをするようにしていた。

この病気がわかる前にもいろいろ相談して、

小児科を受診することを勧めてくれたのも養護の先生。

その先生が、お見舞いに来てくれた。

龍はそれだけでうれしそうだったが、

さらにうれしそうだったのは、

お見舞いのクッキーをいただいたとき。

小児病棟は基本、「病院食のおやつ以外禁止」。

成人食なのでおやつのない龍は、

相当甘いものに飢えていた。

「龍くんは18歳なんだから、こうやって、

隠れて食べるぶんにはかまわないわよ

おとなの病棟のひとはみんな食べてるわよ」

ある看護師さんがそう言って、

カーテンをしゃーっと閉めた。

もっと早く言ってくれればいいのに、と龍はぼやく。

もしかしたら看護師さんによって病棟の規則の解釈が、

甘かったり厳しかったりするのかもしれない。

そういうわけで、甘いものを食べたくなったらつまめるように、

龍はお見舞いのクッキーを枕頭台の冷蔵庫に隠した。

2012/03/06

入院5日目

龍は、点滴がしみて痛いという。
両腕に刺されてめげている。
ときおり吐き気がするという。
だめ押しのように、「なんか寂しいよ」ときた。

母親はどきっとしてずきんとして、すぐさま病院に向かいたくなる。
でもよく見ると(笑)がついていて、本音とからかいの混じった気配がした。
小さいころ、あまり甘ったれたところのない子で、年のわりに幼いとか甘えん坊なところを見せるようになったのはここ一、二年だ。
体調不良だけでなく、重ねる歳なりのこころと、思春期を完成させてないからだのアンバランスにとまどうこともあっただろう。
世間でよくいう兄弟の真ん中の子の複雑な思いもあっただろう。

だから本音だろうとからかいだろうと、寂しいという言葉がしみるのだ。
言われてすぐかけつけるほど親バカではなかったが、予定より二時間ほど早く行ってしまった母親だった。

ちょうど昼飯どきで、龍はあまり食欲がないようだったが、好物のパインはおいしそうに食べた。
母親がもう一つの好物のブロッコリーを勧めると、「うちで食べるやつのほうがうまい」と、ほろりとするようなことを言った。

母親が、夜もう一度寄ったときは、龍は眠っていて、声をかけると、もう眠くて仕方ないというので、また明日と言い合って、早々に切り上げた。
ただ眠いだけとわかっていても、寝顔はなぜか母親に不安を呼び起こし、離れがたい思いがした。

2012/03/05

入院4日目

2012年3月5日月曜日

1日1本ならと、ジュースの許可が出た話につながるのだが・・・

母親はバイト前に1時間ほど龍を見舞う。

「ジュースが飲めなくてつらい」、

「気持ち悪い」という訴えがあった。

気持ち悪いのは投薬のせいだろうか。

しかし甘い物には飢えているだろうなと思う。

小児の病院食には3時のおやつがついているが、

18歳超の龍には、ついていないのである。

砂糖なしのミルクティーなら飲めるというので、

二人で売店に行ってティーバッグを探したが、

緑茶のしかなかった。

紅茶は飲んでよいと言われたので、

食事のときの牛乳でミルクティーつくろうという計画だったのだ。

そこで、二人でひそひそはかりごとをする。

龍は気持ち悪くて昼食を残したというのだが、

残した分を計ってるわけでもなかろう、

検査のために飲めないわけでもないんだから、

それなら少しぐらい飲んだってかまわないだろう、

いっちゃえ!ということで、自販機のコーラを買い、

ラウンジでこっそり二口。

「満足した」

龍はうれしそうに笑った。

せっかく、こそこそ隠れ飲みしたのだが、

そのあと、O医師からあっさり許可が出たらしい。



バイトのあと、母親はふたたび病室へ。

ジュース代とティーバッグを持っていった。

「さっきの残りのコーラは?」

と、龍は聞いてきたが、あいにく車に置きっぱなし。

許可が出たからといって、

いそいそがぶがぶ飲むこともない。

駐車料金がもったいないので、夜の見舞いの部は、

無料ですむ30分で切り上げた。

ジュースを飲んでもいいらしい

週明けの月曜、父親は見舞いに行かなかったが、
夕方に龍からのメールを受け取った。
彼は阿部寛の再放送ドラマを楽しみにしているのだが、
その放映日は何曜日かという。
「今夜だよ」と返事をすると、
病室のテレビで見られるかどうかチェックしたらしい。
ついでに、1日1本ぐらいならジュースを飲んでもいいと言われた、
と嬉しそうに教えてくれた。


2012/03/04

三兄弟

思い出すのは、二段ベッドの下段に三人丸まって眠っている姿。

一段に三人だから、いくら小さいじぶんとはいえ、相当狭苦しい絵柄だった。

そのころ烏には勉強部屋を用意し、

ロフトベッドを置いていたし、

子供部屋の二段ベッドを龍と鷹で分けあえばいいだけの話。

わざわざ好んで三人で寝ていたとしか思えない。

二段ベッドはとうに処分したが、いまでも子供部屋いっぱいに布団を敷き詰め、

やっぱり三人同じ部屋で寝ている。

放置されて、結露のカビで悲惨なことになっている烏の勉強部屋を、

現在改良中であるが、

龍の手術退院後の生活を考えると、

子供部屋ともども、もう少し使いよくしなければならないだろう。


しかし、よその兄弟を知らないからよくわからないが、

この三人、仲がいいのか悪いのか。

願わくは、気持ちの奥底で、

三人一段のこころを持ち続けていますようにと、母親は思う。

入院3日目

2012年3月4日日曜日。

買ってやったクロックス風のサンダルが足に痛いというので、

母親は行きがけに、ふつうの男性用サンダルを買っていった。

入院当日は時間がなく慌てて買ったのが女性用Lサイズだったのだ。

病棟は、二つのライトコートを囲むような設計になっており、

真ん中にエレベーターホールやデイルームなどが設けられ、

西棟、東棟と、それぞれ口の字型に、病室や他の施設が並んでいる。

見舞いに行った母親と龍は、ぐるりと小児病棟を巡る。

エレベータホールから小児病棟に向かうと、

見舞い客用のキッズルーム、入院児のプレイルームがあり、

続いて病室が並ぶ。最初の角を曲がってすぐが龍の病室。

そのまま行くと、新生児用の保育器やベッドが置いてある小部屋。

また角を曲がると、新生児治療室。

廊下から家族が中を覗き込み、中では母が赤ん坊を抱いていたりする。

その次が NICU と書かれた部屋、新生児集中治療室ということだ。

その先に、龍たちの使う浴室などがあり、

最後の一辺がナースステーション。

病院の最上階は、レストランやコインランドリーがあって、

その下の6階が、小児病棟と、女性の病棟。

産婦さんもここに入院しているみたいで、

デイルームには、新米パパや新米じいじばあばの姿も見られる。

今日は、中学生くらいの女の子の入院患者がいて、

学校のお友達だろうか、同じ年頃の女の子が5.6人。

母親が来てから帰るまで2時間ほど、ずっとテーブルを囲んでいた。

マシンガンのように途切れることのない楽しげなおしゃべりは、

あたりの雰囲気をずいぶん明るくしていた。

だいたい同じようなつくりで、3階から6階までが病棟になっている。

「ここはそうでもないけど、ふつうもっと病院くさいよね」

二人で、他の階のにおいをかぎに行ってみた。

たしかに、ある階は、なんとなく「病院くさい」匂いがして、

「ほら、やっぱりね」と言い合った。



龍は、今日までは蓄尿(と言うことを知った)と投薬くらいだったが、

翌日からは、点滴の針を刺しっぱなしの状態になるらしい。


父親は夕方、烏、鷹を連れて病院を訪れた。

例の日曜恒例の買い物の帰りである。

買い物の途中から「まだかいな」と龍より催促。

昼過ぎに「何時頃来るの?」というメールが来ていて、

「うーん、希望はある?」と返事すると、

「暇だし早く来てほしいけど…あ、でも今日買い物か」

と淋しげな文面だった。

結局着いたのは6時半頃だったか。

カーテンをしめきったベッドサイドは

見舞客3人だといささか狭く、椅子も一つしかない。

鷹は立ったまま漫画を読み、

龍も父親のiPhoneでブログをチェックしはじめるなど、

一見、没交渉な感じの見舞いになったが、

時折交わされる会話はそれなりに弾んでいた。

トイレに行った父親は新生児室を発見し、

(上記してある部屋のこと)

それを告げると皆興味を示したので、

三人の息子と、ガラス越しのちいさな新生児を見に行った。

2012/03/03

入院2日目

高校で、龍の成績が悪かった理由のひとつに、

授業態度が悪いというのがあって、

これは、ぼんやりしていたり、

うつらうつらしていたりということを指していて、

それもこの病気が発症していたのなら、しょうがなかったのだなと、

いまでは母親もそう思えるのだけど、

呼び出されて、三者で面談するときなど、

龍はいつも無表情で口数少なく、家での様子とは別人のようだった。

家でもごろごろしていたり眠ってたりはしていたが、

もっとおしゃべりで明るかった。

家での様子とまったく違うのは、

学校という、外の世界だからなのかなと母親は思った。

通院時や入院初日は、

それほど家での様子と変わりなく思えたが、

入院2日目、午後の面会時間に訪れた母親の目には、

その日の龍は、やや学校での龍に似た様子に見えた。

どことなく元気がなく、口数が少ない。

一緒に連れていった鷹は鷹で、

龍と盛り上がって話すようなこともないらしく、

デイルームでもっぱら試験勉強をしていた。

入院診療計画書によると、

3日目から「副腎ホルモン内服開始、甲状腺ホルモン内服開始」とある。

「見違えるように元気が出る」と医師の言っていたやつだろうか。

元気が出る、とは具体的にどういうことなのか、

両親のあいだで、どうも想像がつかない、と、しきりに話題になったのだが、

少なくとも、倦怠感や意欲低下から脱するということならば、

入院中に、今日のようないけだるい状態から脱し、

あちこち病院探索するくらいの元気が出るだろうか。

母親は、龍の好きなコミックが、

病院のあちこちの書棚に散らばっていることを発見した。

とりあえず二人で、階下の病棟のデイルームに行き、

数巻を取り出し、病室に持ち込んだ。

「外来の待合室とか、ほかのデイルームとかに、

もっとあるはずだから、こんど探してみるといいよ」

母親は、龍が少しでも元気が出るといいなと思って、

そう言った。

2012/03/02

小児科病棟

龍は18歳だから、おとなの病棟でもかまわなかったのだが、

小児科病棟の大部屋に入院することになった。

看護師さんの聞きとりの項目のなかには、

もう言わずもがな、聞くまでもなく・・・

というような小さい子供前提の質問がいっぱいあって、

ちょっと笑えた。

病棟の雰囲気もお子さま向きにしつらえてあり、

いくら幼いところのある龍とはいえ、

少しばかり、不似合いだった。

見た目は中学生くらいに見えないこともないし、

楽しみはゲームにコミックなのだから十分お子さまなのだが、

それでもふとしたおりに見せる、

ちょっとした気配りや羞恥心は年齢相応の大人っぽいところもある。

さて、ここで1週間、龍は、どんな経験をするのだろうか。

てきぱき

2012年3月2日金曜日。

この日は、朝病院に行き、午前中いっぱい検査という予定で、

龍と父親と母親の三人で病院へ行く。

ホルモン負荷検査と眼科の検診を受ける。

例によって点滴と採血をしなければならない。

父親の、注射に苦労した自分の経験から得た知恵で、

温めれば血のめぐりがよくなって針も刺しやすいと提案して、

そのおかげで、採血も順調にできたようだ。

30分おきの採血のあいまに、心電図をとり、

終わったところで眼科に行く。

O医師と話して、どうせならということで、この日から入院。

さっそく尿の計量が始められるし、

早いにこしたことはないと、全員の意見が一致した。

そうなると、入院の準備をしなければならない。

眼科にけっこう時間がかかって、

龍を病棟に送ったのが午後2時過ぎになってしまった。

両親は、取り急ぎの買い物をしていったん帰宅。

寝巻など入院用品と、

退屈をまぎらわすための本やDVDを用意して、

再び病院へ向かった。

母親は途中で車を降りてバイトへ。

父親はけっきょく、そのまま夜まで龍と病院で過ごし、

バイト後、母親とまた病室で合流してこの日は帰宅した。

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