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2012年4月

2012/04/26

退院当日

2012年4月26日木曜日。

退院の朝、龍は荷物をすっかり整え、母親を待っていた。

母親が病室に行くと、事務担当の看護師が来ていて、

龍は、やっと来た、というほっとした顔をした。

それはそうだろう。

目の前に高額の請求書が置かれていたのだから。

龍が目にしたこともないような額で、

母親にしても、とても払えないような、くらくらするような額だった。

医療費が高額になることは想定していたとはいえ、

予想額をほぼ30万円も上回っていた。

特定疾患の恩恵を受けられる予定だが、そのままだと一時的に払うのも厳しい。

そのために市役所で、健康保険の限度額の用紙をもらった。

ちゃんと先に出しておけば、そんな請求書が出ることはなかったのだが、

両親も制度をよく知らなかったのでぎりぎりになってしまったのだ。

もういちど訂正した請求書を出してくれるというので、

それを待っている間に、病棟の看護師からも退院の許可が出て、

約3週間つけっぱなしだったリストバンドを切ってもらった。

龍が記念に持っていきたいというと、看護師は、

持っていってもいいけれど、バーコードの部分だけは、、

いろいろな個人情報が読みとれるので、

廃棄しなければいけないという。

代わりに、ベッドの上に貼ってあった、

龍の名前や担当者の書かれた紙をもらってきた。

訂正された請求書は、だいたい思ったとおりの額で、

母親は、ほっとしたが、

龍は、それでも目の玉の飛び出るような金額に感じたようだ。

差額ベッド恐るべしである。

お金持ちの親戚が、「差額ベッドの病室に入るくらいなら、廊下に寝る」

と言い張ったという笑い話も笑えない。

請求書を受け取ると、

エレベータホールまで、事務の看護師さんが見送ってくれた。

「元気になってちゃんと親孝行するのよ」

「胸はってしっかり顔を上げて、がんばるのよ」

そんな言葉をかけてくれた。

そして、1階に下りて会計をすませて病院をあとにした。

退院を前に

今回の龍の入院は、我が家にとって、

十数年前の顔面麻痺での鴉の入院以来の病気による長い入院だった。

手術で入院となると、初めてのことである。

母親の出産入院や短期の入院はあったものの、

こんな本格的な入院は、まったく不慣れな非日常の出来事だった。

それ以前に大病院というものがふだん無縁な代物なのだ。

ゆえに、戸惑うことや不安になることもいろいろあった。

誰に何を聞けばいいかもよくわからないし、

いつどんなことが行われる予定なのかもはっきりわからない。

それでも龍はなかなかしっかり状況を把握して、

ずっと付いてるわけにいかない両親に代わって、

きちんと話を聞いて、ちゃんと対応していたように思う。

細かいことでは、腿の抜糸がどうなっているのかが、

何日たってもよくわからず、けっきょく溶ける糸なので、

抜糸が不要ということがわかったのはずいぶんたってからだった。

ただ、全体としては、医療スタッフの仕事に対する責任感と、

患者に対しての真摯な対応が、

こういう都会の大病院がちゃんと回っていくおおもとになっているんだということは、

いろいろな場面で非常に感じられた。

いちばんお世話になったY医師にしても、

非常に忙しい医師の一人であると思われるが、

個に対する医療、というものをちゃんと感じさせてくれた。

一番の本領発揮の場である手術風景を見てみたいものだ。

お世話になった病院のスタッフのおかげで、

退院を前にして、龍も両親も、

最終的には、不安や疑問もなく、

これからのことを前向きに考えられる状態に、

達することができたと思う。

退院前日

2012年4月25日水曜日。

母親はバイトが休みなので、面会時間に合わせて病院へ行く。

負荷検査もすんで、ようやく退院の運びとなるはずである。

とくにやることもないので、この日も外出許可をとって散歩。

今回は、赤坂六本木方面へ行き、

現代的なビル建築や昭和の有名ビルなどぐるり。

外出のたびに別方向に散歩するので、

国会議事堂・官邸方面、

日比谷公園方面、

東京タワー方面、

赤坂方面と、病院の四方をだいたいめぐったことになる。

夕方には、内科の医師より退院の説明を受ける。

地元公立病院への引き継ぎのような話だった。

けっきょく視力以外は手術前と数値がほとんど変わらず、

いままでの路線でホルモン補充を行っていくことになる。

そのあと外科からの説明があるというのだが、

それは時間がずいぶんずれ込みそうであった。

その前に仕事帰りの父親も寄り、

面会時間も過ぎたころ、Y医師の説明を受けた。

これは何らかの腫瘍に反応してできた

下垂体の異常な部分をほとんど取って、

炎症の部分を無理して取らず、

少し残る形になったという結論になる。

7月にMR検査、8月に診察の予約を入れた。

これで翌日はいよいよ退院ということになる。

龍は、しきりに「猫に会いたい猫に会いたい」と言う。

猫が、家庭生活の象徴なのだろうか。

翌朝は、母親が退院手続きをしに行くことになった。

2012/04/22

佳作

母親は、面会に行くときに、前に龍がちらっと言ってたコミックを買って行った。
コミック大賞だかをとった『銀の匙』という作品。
3巻まで出ていて、本やコミックに関しては抑制のない家風であるからもちろん3冊買った。
これがけっこう面白くて、二人で回し読みしながらクスクス笑った。
2周読み返して、ここおかしい、ここがいい、と二人して受けたところを教えあったりした。
他の家族にも読ませたいね、なんて言い合った。
入院生活も先が見えてきて、それだけに退院が待ち遠しいが、家での日常生活ではなかなか味わえない、貴重な時間を過ごすことができている気もする。

2012/04/18

入院アルバム

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こんなときでもなければお世話になることもない紙パンツ

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いざ、手術室へ。緊張と不安の表情。

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手術直後の痛々しい姿だけれども、麻酔から覚めており、

話すこともできた。

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手術翌日には、粥食ではあるが食事もできる。

しかし鼻の詰め物と大きなガーゼで食べにくそう。

食欲もない。

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病棟からは東京タワーが見える。

震災でひんまがったままの姿。

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すっかり回復して、日中は読書。

隣人はシャワー後のドライヤー中。

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手術後2週間弱。初めて外出許可をとって散歩。

首相官邸前。日本の政治の中枢を、

寝巻とサンダルで闊歩する。

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母親も国会議事堂前で、ハイポーズ。

2012/04/16

内分泌科

数日前から、龍の主治医が外科から内科の先生に代わった。

入院後半は、ホルモンの負荷試験や体調管理のメニューになる。

尿量のコントロールももちろん大事。

鼻がすっきり通って薬が効くようになり、

常人の量におさまっている。

昨日の夕方、ちらっと顔を見せた内科医は女医さんだった。

翌日は朝から採血だという。




龍は、読書にはまったようで、父親が置いていった小説を、

次から次へと読んでいる様子。

面会した鴉の感想では、意欲的になっているという。

いままでならぜったいやるやつじゃなかった、という。

これは将棋のこと。

学校の勉強のほうもそうだといいねと二人で話す。

そろそろ退院の日程が示されるだろうか。

それに合わせて学校の復帰の準備をしなくては。

腰ばきとやらのせいで、ぼろぼろだったズボンのすそも繕った。

新しい教科書も用意できている。

龍は、新しいクラスで、ちゃんとやっていけるだろうか。

なにしろ、今思えば病気のせいだとわかるのだけど、

先生達には、授業中とにかくいつも突っ伏してて、

やる気がないやつだと思われていたのだから、

同級生がどういうふうに思っていたかも想像がつく。

堂々と、勇気をもって、顔を上げて、

残り1年の高校生活を送ってほしい。

2012/04/12

5日目

母親は、中二日空いての面会。

午前で学校を引けた鷹と横浜で待ち合わせて、

いっしょに向かう。

病室では、これは父親のほうがその経緯を知っていると思うが、

これまであまり本を読まず、好きな作家は星新一くらいという、

そんな龍が、なぜか村上春樹を読んでいる。

しかも集中して、けっこうな早さで長編を読み進んでいる。

意外、びっくり仰天、メールの文体まで影響を受ける始末。

今日も、続きの巻を持っていった。


ところで、最初は、採血も注射も苦手で怖がっていた龍が、

いまは、本心かどうかはともかく、そんなものへいちゃらだと言う。

「成長したね」とからかうと、「まあね」と答える。

しかし、今日は、耳鼻科の先生による鼻のおそうじ。

怯えてはいなかったけれども、

「痛いけどがんばって」と先生がいらんことを言うものだから、

龍は、つい避けて頭を動かしてしまう。

本人が「押さえてて」というので、母親は、

頭をヘッドレストに押さえつけて手伝う。

「もうだいじょうぶ」と言うから、すぐ解放したけれども、

そのあとの、手術したほうの鼻の穴の番になると、

血のかたまりのような異物がとりだされ、

これがけっこう痛いらしい。

1回、2回、「いたいっと」と言いながらもがんばっていたが、

3回目、大きく顔を背ける。

先生も「無理せず、今日はこのくらいにしときましょう」

と言って、許してくれた。



母親が、看護師さんに、

手術の詳細についてY医師に聞きたいと言ったので、

今日は、またY医師の説明があった。

前に聞いたのと同じなのだが、もう一度よく聞くことができた。

大事なことは「腫瘍ではない」ということ。

「以前に何かしらの腫瘍ができて、それに反応してこういう状態になった」

「下垂体の柄の部分を取り除いて、残存した膜のようなものを取り除いた」

「癒着して取り除けなかった部分は、腫瘍の残りではない」

というところだろうか。

病理からのレポートは、まだ上がってきていないそうだ。

今回は、術前術後のMRの画像を見ながらの説明だった。


龍と鷹の久しぶりの対面であるが、

あいかわらず会話はないけれども、

家の子供部屋で過ごすように、

それぞれ本やコミックを読んだり、おやつを食べたりが、

非日常のなかの日常という感じ。

この日は、やっと差額ベッドから4人部屋への移動。

鷹も荷物を運ぶのを手伝ってくれた。

鷹は、そのあと部活に出ると言って先に帰った。

母親は、7時過ぎまでいてから、帰った。

2012/04/08

術後の経過は順調

術後二日目。
本日の担当は父親である。
朝のうちに鼻の覆いが取り去られ、
龍は大きな解放感を感じたらしい。
終日、上機嫌であった。
そして今日は見舞いラッシュの日でもあった。
まずは父親方の祖父母。
この人たちは機関銃のように喋る。
あわててデイルームに移動させたが、
お喋りは止まらず、
薬をもってきた看護師さんにも構わずしゃべり続ける。
(後で、「濃いキャラクターだ驚いた。」と言われた)
帰ったあとはちょっとぐったりする。
おしっこがどうも大量に出ているようで、点鼻薬を入れる。
父親はベッドサイドで本を読んでいたが、
イヤホーンをつけた龍は、
TVを見てなにやらケラケラと笑っていた。

次は父親の旧友が幼稚園年中組の息子を連れて現れた。
マラソン漫画「奈緒子」の30冊近い単行本が詰まった紙袋を下げている。
年中組の子は大人しく父親たちの話に付き合っていた。

その後、龍は「奈緒子」を、父親は持ってきた文庫本を読んで過ごし、
途中、地下の売店に降りて、ポテトチップスとジュースを買って食べた。
夕方17時ぐらいから点滴になる。
「これが最後だからね」と看護師は言っていた。

最後の見舞客は、これもやはり父親の旧友で、夫人と、龍と同い年の娘連れであった。
服装からすると娘の入学式の帰り? 日曜だから違うか。
龍は夫人との世間話に如才なく興じ、夜の病院食を披露などしていた。

夕食を済ませ、またしばらく本を読んでから父親は辞すことに。
今日は眠らずに過ごしたから、きっとよく眠れることだろう。

患者さんたち

同じフロアには、脳神経外科の患者さんたちが入院していて、病気が病気だけにそれぞれ大変なんだろうなと思う。
龍と同室だった九州の若い衆は、部位も同じ下垂体の疾患だった。デイルームで見てると、開頭手術のあとの痛々しい人もいるし、車椅子に座ったきり動いたり話したりできない人もいるし、かと思えばもどかしそうに仕事の電話をかけまくってる人もいる。もちろん病室には歩き回ったりできない寝たきりの人も。
龍の隣はいつのまにか空になって、その日の夕方になって新しい人が入ってきた。
声からするとお年の人のようで、奥さんとおぼしき人がずっと付き添っているようだった。
龍の希望でカーテンを引いてあったから、母親は姿を見ることができなかったが、その会話だけでじゅうぶん想像力をかきたてられた。
何しろ小津映画に出てきそうなくらい、上品で奥ゆかしい夫婦の会話だったのだ。
普通夫婦間では使わないような丁寧語なのに仲むつましげで、二人でクロスワードパズルをやっているようだった。
母親はつい隣から答えを教えたくなったがこらえた。ほんとうに古い昭和を描いたドラマのようで、悪いと思いつつも聞き入ってしまった。
翌日の龍の報告によれば、ある大作家の息子さんだという。
大作家本人も由緒ある家の出であるから、きっとそういう育ちなのだろう。

手術翌日

翌日は、母親だけが面会時間に合わせて病院へ。

部屋に入ると、龍はぐっすり眠っていた。

寝かせておけばよいものを、その姿に不安になって、

母親は、そっと手を撫でて小声で読んだ。

うっすら目を開けた。

朝ご飯も食べ、自力でトイレにも行ったという。

酸素マスクも、導尿の管も順調に外れてよかった。

点滴の管だけつながれている。

事前に渡された説明では、

点滴は、抗生物質と副腎皮質ホルモンということだ。

尿崩症の点鼻薬は使えないので、注射をしたという。

あとは、痛み止めと止血の薬を飲んでいる。

鼻はガーゼを詰めて、ストロー状の管で排液している。

そこに大き目のガーゼをあてているのだけれども、

それは、自分で適宜交換するように指導も受けたという。

薄桃色の液が染みていた。

あんがい手際よく自分で交換していた。

すぐに昼ごはんの時間になり、粥食が運ばれてきた。

お粥とさばは、何とか食べたが、リンゴや切干大根は残していた。

大きく口を開けられないようだった。

鼻で匂いをかげないから飯がまずい、という話を聞いていたので、

それはかわいそうだと思ったが、

龍は、味がわからないことはない、おいしい、と言っていた。

午後になって、尿量が増えてきたので、また注射。

トイレに行くのに、切開した脚が痛いらしく、

手すりにつかまりながらではあったが、

一人でちゃんと歩いて行けている。

ここでいちいち尿量と比重を計らなければならない。

畜尿して小さな洗濯機のような機械に尿を入れる。

龍は、なんだか慣れた手つきでそんな面倒な作業をこなしていた。

午後はほとんどうとうとしていたが、

『アイ・カーリー』(お気に入りの洋物ドラマ)はしっかり観ていた。

そのうち、夕食の時間になった。

このときは食欲なく、粥やおかずにはほとんど手をつけず、

デザートのキーウィは、おいしい、柔らかい、とぜんぶ平らげた。

面会時間が夜8時までなので、

母親は、7時半ごろ病室を出て帰途についた。

2012/04/07

手術当日

2012年4月6日。

早朝、両親と鴉の3人は車で病院に向かう。

龍は8時半に支度をして病室を出る予定だからだ。

着くと、龍はもう起きていたが、

言葉少なく、顔もこわばって緊張しているようだった。

それでも、兄と、新しく出るゲームのことなど話したりしていた。

時間になって、龍は手術着と例の紙パンツと紙キャップを着けて、

看護師に連れられて手術室に向かった。

両親と鴉もつきそった。

手術室に向かう龍の写真を撮る。

「ガッツポーズとかしないの?」と看護師さんが言う。

ということは、そういうポーズをする人もいるということだろう。

龍は、困ったような微笑を浮かべた。

ここから先は、龍は眠りの中、家族は蚊帳の外である。

午後2時ごろに終わると一応聞いていたが、

何事もなくても1、2時間くらいは遅れることもあるという。

同室の人などは、逆にずいぶん早くすんだと言っていた。

ただ待つだけの時間は長く、父親と鴉は将棋をしていた。

それほど使われていないのか駒が足らず、

碁石まで動員して対局していた。

昼は、コンビニ弁当を喫食室で食べたが、

これがまた狭苦しく、気がめいった。

3時過ぎて、看護師に呼ばれ、手術室でY医師の説明を聞く。

残念ながら、その時点ではすっきり納得のいくものではなかったが、

プロ中のプロが、じっさいに目で見て執刀した結果、

そうであったのだからしょうがない。

後日、もっと正確な情報が知らされるだろう。

そのあと、いったん病室のフロアに戻り、

こんどは、ICUに呼ばれて、龍との数時間ぶりの対面となった。

よほどのことがなければ縁のないICUという場所は、

広々としたフロアに、

ナースステーションと、機材と、病床が、

あまり秩序なく点在しているような印象の大部屋だった。

龍は窓ぎわのベッドに寝かされていた。

麻酔からはさめていたものの、まだぼんやりしており、

酸素マスクやいろいろな管が痛々しい・・・

と書こうとしたが、

さすがに、負担の少ない経鼻法である、

思ったより軽装備だったし、

ガーゼで覆われている部分も少なかった。

ガーゼの隙間から見える鼻梁がやや腫れてシワができている気がし、

上唇のあたりは腫れているようだったが、

とても頭の真ん中の手術を終えたばかりには見えなかった。

手術前に言われていたように、髄液の漏れがあったそうなので、

覆われて見えないが、腿に筋膜をとった切開創があるはずだ。

ぼんやりしてはいても、少しは口をきくこともできてひとまず安心した。

本人は眠っていただけ、ともいえるが、

その姿は、やはりひとつの大きな戦いを終えた戦士のように見えた。

不安や恐れを乗り越えて、

がんばって、ちゃんと生きて帰ってきたんだものね。

両親と鴉は、そこまで見届けてから、帰宅した。

2012/04/06

病気ははっきりしている。

汎下垂体機能低下症と視野の狭窄。

その原因がわからない。

この言い方もしっくりしない。

病変がいったい何であるのか、理解できない。

頭蓋咽頭腫であろうと言われた。

ラトケ嚢胞かもしれないとも言われた。

しかし手術を終えたY医師からの説明は、

そのいずれの言葉も出なかった。

キーワードは、「腫瘍ぽくない」「肉芽腫」「炎症」「癒着」。

「ほとんど取り除いた」「癒着のひどいところが少し残っている」。

これらが正しく組み合わさると、どんな結果になるのだろうか。

Y医師は、そのあとすぐ別の手術に入るということで、

説明はここまでにとどまったのだが、

後日、詳しく調べてきちんとした説明があるはずである。

だからといって、それをじりじり待つというのも、

肉親にとってはかなり苦痛である。

いまは本人は、現実的な肉体的苦痛でそれどころではないだろう。

家族で頭を寄せ合わせて、ネットで検索して、ああでもないこうでもない、

聞いた説明をもとに、納得のいく答えの可能性を探る。

しかし、素人があれこれ考えても無駄であろう。

ただただ、専門家の説明を待つしかない。

2012/04/05

手術前日

2012年4月5日。

いよいよ手術前日。

麻酔科医の説明、手術室ナースの説明、

ICUナースの説明、執刀医の説明、すべて完了。

渡されたDVDを見ると、大きく切開することのない鼻の穴からのエントリーとはいえ、

やっぱり大変な手術だとわかる。

明日は、早朝から両親と鴉の三人で病院に行く予定。

ところで、入院してからの龍の様子だが、

先日の入院が良い練習台になったのか、

今回のMR検査は、騒ぐことなく平然と受けることができたようだ。

飲んだ量と尿の量の記録も手慣れた感じで書きつけていた。

さすがに、緊張してナーバスになっているようだったが、

食事はしっかり平らげ、

入院してから滞っていた、出すほうも、

手術に備えて、しっかり出せたという。

怖がって幼い様子を見せてくれたほうが安心するのに・・・

というのは、母親の勝手な思いであって、

しっかり落ち着いて受け止めていることは歓迎すべきことなのだが、

不安に耐えてがんばっている様子が逆に、いじらしくて、かわいそうで、

つい感傷的になる。

Y医師による説明のなかで、ほぼはっきりしたのは、

下垂体の機能が回復する見込みはほとんどないということ。

それは最初から覚悟していたことだったのだが、

なぜ回復しないのか、という疑問にも答えてもらった。

それから、視力については、90パーセントの例で回復が見られるそうだ。

それは明るい材料だといえる。

しかし、なんと多くのリスクがあり得ることよ。

龍は、たくさんの同意書にサインしなければならない。

そのうちのいくつかには、父親もサインする。

手続き上の問題にすぎないとはいえ、

不可抗力の最悪の事態もありえるかもしれないという書類に、

本人が同意のサインをするという、そんな経験をさせることが、

母親はせつなくてならない。

とにかく賽は投げられたわけで、あとは、

天に、運に、そして執刀医の腕に任せるしかない。

本日入院

2012年4月4日。

8時に家を出て、9時半過ぎにT病院に到着。

受付をすませ、病棟に上がって、あてがわれた部屋に入る。

今回は、小児ではなく一般の病棟、

同じく間脳下垂体外科の患者さんたちが入院しているフロア。

希望した4人部屋に空きがなく、2人部屋になる。

相部屋の人は、九州からの来院。

2度目だという。3度目もあるかもしれない、という。

壮絶な話であるが、これもまたこの病気の持つ特性。

初めて、じっさいにお会いする同じ病気の人ということになるが、

明るい、いい若い衆、という印象だった。

その日は、入院生活と手術に関する説明を聞き、

午前中のうちに、CT検査をした。

午後遅くにMR検査も行われる予定で、

それは昼過ぎに両親の帰ったあと、龍が一人で行ったはずである。

昼食のあとは飲食禁止なので、検査まで龍はひと眠り。

その昼食というのは、普通の病院食なのだが、

龍がほとんど手をつけなかった「かぶのサラダ」を、

母親も一切れ味見してみた。

「ありえないっ!」

と二人で言い合うほど、酸っぱくて塩気足らずでまずかった。


ところで、母親と龍が地下にある売店に行こうとすると、

ナースステーションから担当の看護師さんに呼び止められた。

「ついでといってはあれですが・・・」

必要品を買っておいてほしいという。

手術用の紙パンツと目盛つきのコップ。

紙パンツと聞いて、思わず顔を見合わせた母親と龍だが、

じっさい売店で品を見ると、

それは不織布製のトランクスのようなもので、

大してびっくりするような代物ではなかった。

目盛つきのコップというのは、飲んだ水の量を計るためのもの。

ふたとストロー付きのプラスチックのコップで、

コップにこだわる龍は、わりと気に入ったよう。




病棟には、入院患者用の図書室があるというので、

母親と龍は、それもちょっとのぞきに行ってきたのだが、

地元の公立病院の蔵書よりもずっと貧弱だったので、

二人は、すぐさまとって返した。

デイルームの本棚も、本が少なかった。

そういえば、地元の公立病院ではボランティア団体が入って蔵書管理をしており、

病棟までカートで本を運んできて、貸してくれるというサービスがあった。

あれはなかなかよかった。

龍がリストを見てリクエストしたコミックもすぐ持ってきてくれた。

こちらが持ち込んだ『ねこぱんち』も快く引き取ってくれた。

いまごろ誰かの無聊を慰めてくれているかなと、母親はふと思う。




龍は、今日はいいやと、携帯を持ちこんでいないので、

午後からの様子はまだわからない。

翌日も手術の説明を聞くために両親そろって行く予定なので、

そのときにでも聞いてみよう。

2012/04/02

小児科

今日の午後は、O医師の診察。

T病院のY医師からO医師へ、お手紙があったそう。

医師同士のお話を詳しくは聞かなかったけれども、

ラトケ嚢胞の疑いも、まだあるようなことをちらっと言っていた。

どっちにしろじっさいに見てみないことにはわからないようだ。

手術後やっと病理で確定するケースもあるらしい。

今日の診察は、簡単にこのところの様子を報告し、

処方箋を出してもらい、手術後の診療予約をする程度。

体重の増加は心配したような薬による肥満の兆候ではなくて、

順調にホルモン補充を行って食欲が回復したせいではないかと、

どちらかというとプラスのお見立て。

母親が、雑談がてらO医師に、T病院を受診した際の、

いかにも多忙な人気医師らしい、

Y医師の診察室の雰囲気をじょうだんまじりにお話すると、

「そのくらい偉くなってみたいなあ」なんて、

もう一人の担当のK医師と笑いあう。

また、母親が最近再放送していた医療ドラマ『医龍2』を、

夢中になって観ていると、手術シーンで、

龍が「いやがらせか?」なんて言う、という話をすると、

「でも、あれは全部、治る話だからいいじゃないですか」と言った。

本職も、ああいうものを観たり読んだりしているんだろうか・・・。

あとは、成長ホルモンの補充などの話をした。

手術後の様子で、夏ごろから開始することになりそうだ。

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